私は熊本地震が発生した際、支援のため現地入りし、これまで知識としてしか知らなかった様々なことを経験してきました。災害というのは本当に悲惨なものであり、そして建物の耐震化というのがどれほど重要か身をもって感じてきました。ここでは、震度7が2回立て続けに起きるという前代未聞の地震と、それによって発生した様々な事象について、私自身決して忘れないためにブログとして記録しておきます。
【目次】
震度7の大規模地震が起きた直後
震度7という地震は最大級の揺れを伴います。私を含め、多くの方が経験したことのない地震が震度7です。近く発生が予測されている南海トラフ地震などは震度7で発生するだろうと考えられています。
さて、震度7という地震がどれほど揺れるのかは、以下の動画をご覧ください。
震度7ってすごい揺れるんです(~_~;)
日本では、こんなに揺れる地震が過去10年間で3箇所(4回)も発生しています。
No. | 名称 | 発生時刻 |
1 | 北海道胆振東部地震 | 2018年9月6日 03時07分 |
2-1 | 熊本地震 | 2016年4月14日 21時26分 |
2-2 | 〃 | 2016年4月16日 01時25分 |
3 | 東日本大震災 | 2011年3月11日 14時46分 |
さて、私たちが住んでいるこの地域で、今まさに震度7の地震が起きたとしましょう。
私たちはどうすればいいでしょうか?
まずは生き残ること
グラグラっと揺れが来た後、すぐにこれまで経験したことのないような大規模な揺れが私たちを襲います。震度7の揺れとは、私を含めほとんどの人が経験した事がありません。
地震大国日本では、地震の強さを震度1〜7に分けて評価していますが、震度8やら9はありません。何故なら、震度7という地震はそのエネルギーが凄まじすぎて、もうそれ以上大きい地震が来ようが危険度を比較しようがないからです。つまり、震度7以上はヤバすぎる地震ってことです(・・;)
そんな大規模な揺れが起きたら時、家の中はどうなるでしょうか?
家の中には様々な物が置いてあります。震度7という揺れは、テレビや冷蔵庫や洗濯機といった大物家電をすっ飛ばします。クローゼット 、タンス、食器棚といった大物家具があれば、やはり地震の揺れで倒れてきます。ガラスの食器は割れて飛び散り、ドアは変形して開かなくなります。もし調理中であれば、熱湯や油がそこら中に撒き散らされて大火傷を負うかもしれません。寝ている時であれば机の下に逃げ込むことすらできませんから、怪我を負ったり亡くなるリスクは更に高まります。
しかし、私たちはまずここを生き残らなければなりません。そのため、地震が来ていない今のうちに様々な備えをしておく必要があるんですね。そう言った備えについてはこちらで細かく書いていますので、気になる方はご覧ください。
さて、いずれにせよ私たちは生き残ることができました。タンスも冷蔵庫も動かないように固定していたので、押し潰されて死ぬことはありませんでしたし、非常食も用意してあります。では、これでおしまいでしょうか?
いいえ、次のことを考えなければなりません。
生き残ったら次は生き抜くというステップが待っている
地震の被害を受けて生き残る事が出来たとしても、その次は生き抜かなければなりません。
しかし、控え目に言っても状況は最悪です。
ライフラインは途絶しています。電気・水道・ガスは使えませんから、今できているほとんどの事ができなくなります。通信機器が使えませんから、そもそも「今の地震で何が起きているのか」すら分かりません。電柱が倒れたりして道路を塞いでいるので、そもそも車が通れません。消防車が通れないので震災直後の火災は拡大しやすく大変危険です。倒壊家屋に閉じ込められたり、透析の治療を受けられなかったりと様々な人が命の危機に瀕します。人命救助は一刻の猶予もありませんから、消防や自衛隊や医療チームをどんどん災害現場に送り込みます。発災直後は、とにかく全てのエネルギーが救助活動に注がれます。
その反面、支援物資が私たちの手元に届くまでは時間がかかります。当然物流が止まるのでコンビニやスーパーも食料を補充できません。物流が止まり、ライフラインが止まるということは、飲料水が手に入らなくなるという事です。水の確保は死活問題です。なのに、通信機器がつながりませんから「どこに行けば水がもらえるか」という情報もなかなか手に入りません。こういった内容は、市区町村の広報車や防災行政無線、あるいは地元ラジオなどの放送が頼りになります。しかし、ガソリンが入荷してこないので、車で移動できるのも限られた時間内です。そのため、飲料水がもらえる場所が遠いと、そもそも水をもらって帰ってくる事ができません。どうしても、その地域から出られなくなりますし、逆に物が入ってこなくなる現象が発生します。
また、よく分からずに「とにかく支援物資を送らなきゃ」という思いだけで行動される方が、結果として物流をより阻害してしまいます。被災地が何を必要としていて、そのためにはどのような手段で何時ごろまでにどの経路で届ければいいのか、受取人はちゃんといるのか、余震があったらどうするのか、他にも様々なことを調整する必要があります。こういった調整は、自らも被災者である市町村職員が、時間・人員・通信設備などあらゆる物が不足する状況にも負けず不眠不休で対応しています。
具体的に考えてみると本当に酷い状況ですね(~_~;)
そんな中、生き残った私たちはどうすれば生き抜けるでしょうか?
一週間分の食料は備蓄してありますから、まぁ我が家だけなら一週間生き抜けます。さすがにその頃には支援物資も届き始めているでしょう。じゃあ、私たちは一週間、どこで耐えればいいんでしょうか?
避難所の環境を知ってください
震度7とは大きな地震です。たくさんの建物が倒壊し、多くの人が救助を待っています。しかし、生き残ったのならその過酷な状況下でも生き抜かねばなりません。その時、非常用持ち出し袋を持ってどこに行くのかを考えていますか?
テレビなんかだとそういう時は「避難所」に行くのが当たり前のように報道されていますね。皆さんは避難所についてどのようなイメージをお持ちでしょうか?「よく分からんがみんな行っているし、とにかく行けばなんとかなる」みたいなイメージをお持ちでしたら、今日でその認識を改めてください。
避難所の現実は悲惨です。
私は熊本地震の直後、支援のために現地入りして避難所を見てきました。そこは間仕切りが設置されており、今回の写真よりはマシだった点も多々ありました。ですが、薄い間仕切りの向こうは、知らない誰かです。
もし、その人が犯罪者だったらどうしましょう。実際、避難所での性暴力や窃盗は深刻なテーマです。子供も大人も被災ストレスが深刻なため心が疲れ切っています。そんな中、犯罪の被害にあった方はどれほど苦しむでしょうか。逃げ出したいのにここ以外居場所がないというジレンマを抱えながら生活することになります。
お風呂はありません。自衛隊の支援が届くまでは風呂なし生活です。身体は当然臭くなりますが、それ以上に不衛生です。真夏であれば汗が吹き出し、しかも多くの人間が集まっているせいで大変蒸し暑くなります。着替えもそんなにないし、洗濯もなかなか出来ないので汚れがどんどん蓄積します。真夏でなかったとしても、小さな赤ちゃんには耐えられないくらい辛いでしょう。
冷暖房設備はありません。ライフラインが途絶しているというのもありますが、そもそもとして避難所は家じゃないんです。多くは小中学校の体育館ですから、そんな設備ありません。電気が回復すればヒーターが使えるようになるでしょうが、それでも断熱なんて効かせていない建物ですから、真冬であればずーっと寒いままです。真夏は冷房が使えないのに、断熱が効いていないせいで太陽の熱をモロに浴びて大変暑くなります。真冬とは別の意味で地獄です。
個室はありませんから、防音性能はゼロです。もう一度申し上げますが、避難所は家じゃないんです。仕切りはあっても所詮薄い間仕切りです。誰かのいびきや話し声がすれば気になって寝られない方もいるでしょう。子供は不安感から泣きやすくなりますので、泣き声が周囲の人に迷惑をかけてしまいます。そしてそれが親のストレスを増悪させ、敏感な子供はずーっと泣き続けるという悪循環が生まれます。
ゴミ収集車は来ません。ゴミ処理場が稼働できないからです。なので、炊き出しが行われてもそのゴミを適切に処分できません。ゴミは信じられないスピードで凄まじい量が出ます。なんてったって、避難所1箇所につき100人近い人間に毎日3食提供しているんです。数日もすると、廃棄物から大変凄まじい匂いがします。ハエもたかりますし、変な茶色い汁がそこかしこから出てきます。ビニール袋さえ貴重なタイミングですので、何重にも縛って匂いを封じ込めることもできません。悪臭と付き合いながらの生活です。
トイレは流せません。水が使えないからです。そのため、うんちはビニール袋にしなけれなばなりません。しかし、そんなこと多くの方がやってくれません。誰だってビニール袋にうんちをするなんて嫌なんです。嫌だから、流せないにも関わらずトイレにうんちをしてしまいます。もしこれが家族なら「誰がやったんだ」と問い詰められますが、不特定多数の人間が共同生活しているのが避難所です。そんなことできませんし、それよりトイレを掃除する方が緊急度が高いんです。汚物でいっぱいのトイレは感染症の発生源になります。結果、水がないのにトイレ掃除をしなければならないという大問題に発展します。
一度発生した感染症を抑えることは困難です。様々な方々が1カ所に集まって生活しているんです。しかも、風呂には入れずトイレの衛生状況も最悪です。平時とは比較にならないほど感染リスクが高まっています。医療も不足していますし、十分な手当ができないかもしれません。そのため、誰かが感染症に罹患してしまえば、あっという間にパンデミックへの恐怖が広がります。コロナウイルスが騒がれる前から、この問題は避難所運営の大きなテーマでした。
避難所に行くとは、こういった環境の中で生活することを受け入れるということです。
自宅に戻れない理由を知ってください
「こんな環境我慢できない」と思い、家に帰りたがる方は多くいます。
しかし、ここで行政からのストップがかかるんですね。別に意地悪しているわけじゃありません。「危ないからやめろ」という趣旨でストップがかかるんです。
行政は大規模な地震が発生した場合、応急危険度判定という業務を行います。これは、地震の被害を受けた住宅を大まかに3段階に分け、その家で生活できるかどうかを建物の倒壊具合からざっくりと判断する業務です。
大きな地震の後は余震もあります。崩れかけた家で余震の恐怖に震えながら暮らせるでしょうか?
それでも避難所よりはマシだと思い覚悟を決めて自宅に帰ると、「応急危険度判定の結果、お宅の家は危険ですよ」という紙が自宅に貼ってあったりします。
応急危険度判定はざっくりした判断しか行いません。一棟ごとにじっくり診断をしていれば、時間が幾らあっても終わりません。発災直後のあらゆる業務がそうですが、厳密さよりもスピードが求められるからです。
なので、この応急危険度判定の結果用紙は、赤は危険と言っているのはその通りですが、黄色については「この家は大丈夫ですよ。」と言ってるわけではありません。「行政の判断だと、今の時点では危険と言うほどの損壊状況ではありません。ですが、専門家にちゃんと見てもらってください。」というのが黄色の紙が伝えたい内容です。
そして、黄色の紙を貼られた多くの方は家に戻るのを諦めます。地震の恐怖を体の芯まで叩き込まれた直後ですから、こんな紙貼られた家なんてマジで怖いんです。余震がどれだけ続くか、どれだけ大規模な余震が来るかは誰にもわかりません。ひょっとしたら、余震でも震度7の地震が来るかもしれませんし、実際熊本地震がそうでした。そして、もしもう一度震度7の地震が来たら、果たして自分の家は大丈夫か、本気の本気で心配します。
「どこ」で「いつまで」生き抜くかを具体的に考える
誰だって避難所なんか行きたくなんかありません。
被災者もそう考えるため、車中生活をされたり、テント暮らしをされたり、「避難所で暮らさない」という選択をされる方は多くいらっしゃいます。しかし、車中生活もテント暮らしも、別に快適というわけではありませんよね。特に真冬に地震が起きれば、どちらの暮らし方も死活問題になりかねません。
また、避難生活を「いつまで」続けるのかというテーマも重要です。期間は人それぞれですが、もし仮設住宅以外の選択肢がない方であれば、短くても数ヶ月、長ければ1年近く避難所生活を送る方もいらっしゃいます。1年、プライバシーなしの生活をしろと言われるわけですが、私なら耐えられません。しかし、それ以外に選択肢がなければ諦めて受け入れるしかないのが現実です。
親戚の家に身を寄せたりできればいいのですが、現実はそんな簡単じゃありません。親戚が同じ地区にいれば、その方も被災者です。遠方にいた親戚が快く声をかけてくれたとしても、仕事の都合、子供の都合、親の介護、人それぞれ様々な事情があります。身を寄せたくても、地元を離れられない方はたくさんいらっしゃいます。
避難所を出るには、あるいは車中生活やテント暮らしをやめるには、新たな家が必要です。
新しく家を建てられるだけの経済的余裕があればいいのですが、そんなご家庭は稀でしょう。地震保険なんて微々たる物です。よしんば出たとしても、倒壊した家の解体費用で結構持ってかれてしまいます。行政からの補助金もありますが、そもそも行政が災害対応を強いられて金欠なので、補助なんてホントわずかです。
それでも新しい家を買わなければどうしようもないと一念発起して銀行に相談に行っても、ローンが完済していなければ、そもそも新たにローンを組めないかもしれません。仮に凛義が通ってローンを組めたとしても、それはつまり倒壊した家と新しい家の二つのローンを払い続ける日々を歩むということです。
家に住めないという経験をほとんどの方がしたことはないでしょうが、これって大問題なんです。「ちょっと待ってくれれば住めるように直すよ。」なんて言ってくれる業者がいれば心強いのでしょうが、残念ながらそんな事はありません。地震で住めなくなった建物はそう簡単には直せませんし、建物を直して欲しいという依頼は大量に発生します。ライフラインが止まっているので、職人がいても建材が入ってきません。ただでさえ困難な状況下の中、それでも対応できるところから順繰りに直していくしか方法がないんですね。なので、お金があっても何年も家を直してもらえないという方も出てきます。
家を失うということは、次の生活再建が非常に困難になるということなんです。
避難所に行かずに済む方法は?
震度7の地震が来ても一切崩れず、更にその後の余震にも耐え続けられる家であれば避難所に行く必要はありません。そのように作られた家は、震度7の地震を受けても倒壊しません。もし万が一そのような大規模な地震がきても、「この家は震度7の地震が来ても倒壊しないよう設計してある。」という安心感が、自分の家で暮らせるという選択肢につながり、結果家族をさまざまな悪意やストレスから守ります。
「災害が起きている時に家暮らしなんてそんなの贅沢だろ」と言うのは一方的で無責任な批判です。地震の影響により、被災された方々は家族を亡くされたり大切な物を失ったりしてるんです。身も心もズタボロになり、それでも生き抜こうと懸命なんです。そんな時、家族を犯罪から守り、疲れた心を守り、プライバシーを守り、生活を守れるのは、震度7でも住み続けられる家だけです。決して贅沢なんかじゃありません。そんな家じゃなきゃダメなんです。
少なくとも、私はこの点に関しては絶対と言えます。
大地震が来ても住み続けられる家を建てよう
絶対に避難所へ行きたくない私は、震度7の大地震が来ても問題なく住み続けられる家を建てました。この点に関しては、本当によく頑張ったと自分を褒めてあげたいです。
私が契約した工務店にはこの必要性を最後まで理解してもらえませんでしたが・・・。この工務店が建てる次の家は、大地震が来た時に住んでいる人を経済的にも環境的にも殺しにかかる住宅になるでしょう。二重ローンの恐怖と苦しみを抱えながら、家族と一緒に避難所へ行くのか車中生活をするのか、いずれにせよ生活再建が困難になることは明白です。
私の担当設計士に何度も構造計算をやるよう指示しましたが、なかなか理解してもらえず、ついには「耐震等級1の住宅でも震度7の大地震を受けて残っている建物はいっぱいあるじゃないですか。」と言われた時はホント呆れましたし腹が立ちました。
確かにそれは事実です。一方、二度と暮らせなくなった家が沢山あるのも事実です。
この設計士は、耐震性を高めた家を作らないと、万が一地震が来た時にお客さんやその家族が大変な人生を歩む事になる可能性について理解できないのです。こういう無責任な考え方をしている人が設計士なんだから、震度7の大地震が来れば避難所がいっぱいになるわけです(~_~;)
地震に限らず災害全般に言えることですが、どうしても「命を守る」という点に目が行きがちです。ですが、その先にもまだまだ苦しい現実が待っています。もう既に昔の基準で家を建ててしまった私たちの親や親戚の家はどうにもできません。耐震補強にも限界がありますから、抜本的な解決策は建て替えしかありません。
どうか今から家を買われる方は、震度7の地震が来ても住み続けられる住宅を、ぜひ作ってください。
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